中学受験に必要なのは分析かもしれない。スモールステップで改善することの意味

中学受験をすると決めてから、
私は本当にたくさんのことを考えてきました。

どの塾がいいのだろう。
先取りは必要なのだろうか。
勉強時間はどれくらい必要なのだろう。
志望校との相性は大事なのだろうか。
低学年のうちに何をしておけばいいのだろう。
本当にたくさんの情報を見て、たくさん悩んできました。

そして今、
小学4年生の娘と中学受験生活を送る中で思うことがあります。

それは、
「これだけやれば大丈夫」
という正解は、なかなか存在しないのかもしれないということです。

塾に頼りすぎるのも違う気がします。
塾を信じすぎるのも違う気がします。
家庭だけで回そうとするのも違う。
併塾を増やせば解決するわけでもない。
勉強時間を増やし続ければいいわけでもない。
今しかできない体験ばかりを優先するのも違う。
周りと比較し続けるのも違う。
でも情報収集をしないのも違う。
宿題だけやればいいわけでもない。
かといって追加課題を次々やればいいわけでもない。

中学受験をしていると、
何を選んでも正解に見えるし、何を選んでも不安になります。

だから私は最近、
「何が正しいか」
よりも、
「今の娘に何が必要か」
を考えるようになりました。

娘は書くことが苦手です。
ノートを書くのも嫌いです。
見直しも嫌いです。
でも難問は好きだったりします。

一方で、理科の植物はなかなか覚えられません。
星座も苦戦しています。
同じ子なのに、得意なことと苦手なことが混在しています。

だから、
「この教材がいいらしい」では解決しません。
「みんながやっているらしい」でも解決しません。

まず娘を見ます。
どこで止まっているのか。
何に困っているのか。
本当に理解していないのか。
理解しているけれど面倒なのか。
完璧にやりたいから手が止まるのか。
失敗したくないから避けているのか。

観察していると、同じ「できない」でも
理由が全然違うことがあります。

そして理由が違えば、必要なサポートも変わります。
例えば、
「植物が覚えられない」
だったら、
教科書を何回も読むのではなく、
動画を見る。
図鑑を見る。
別の本を読む。
実際の植物を見る。
そんな方法のほうが合うかもしれません。

「見直しをしない」
だったら、
もっと注意しなさいと言うのではなく、
間違えることへの抵抗感が原因かもしれません。

「ノートを書かない」
だったら、
字をきれいに書く練習ではなく、
まずは書いてみる経験が必要かもしれません。

結局のところ、
親がやるべきことは、
大きな改革ではなく、
小さな改善なのかもしれないなと思います。

今の課題は何だろう。
どうしたら一歩前に進めるだろう。
どれくらいの挑戦ならできそうだろう。
何がきっかけになりそうだろう。

そんなことを考えて、
少しだけ環境を変えてみる。
少しだけ声掛けを変えてみる。
少しだけ教材を変えてみる。

そして様子を見る。
うまくいかなければまた考える。
その繰り返しです。

正直に言うと、これは結構地味です。
誰かに褒められることもありません。
テストの点数が上がったとしても、
頑張ったのは娘です。

娘が自分で乗り越えられることなら見守る。
まだ難しそうなら少しだけ手を貸す。
できるようになったら手を離す。
その繰り返し。

中学受験というと、
どの塾に行くか。
どの教材を使うか。
どれだけ勉強するか。
そんな話になりがちです。
もちろんそれも大切です。

でも最近の私は、
それ以上に大切なのは、
目の前の子どもを
しっかり観察することなのではないかと思っています。

他の子ではなく、
去年の我が子と比べる。
できないことではなく、
少しずつできるようになったことを見る。
そしてまた次の一歩を考える。

中学受験は偏差値との戦いのように見えますが、
実際には、
目の前の子どもを理解し続ける長い旅なのかもしれません。

我が家もまだまだ試行錯誤の途中です。
たくさん失敗もします。
それでも、
分析して、少し改善して、また観察する。
そんな地道な積み重ねが、
いつか娘の力になってくれたらいいなと思っています。